博士たちの「憂うつ」と「新しい生き方」(2)
時代とともに社会制度や価値観は大きく変わるものだ。
アメリカのクリントン政権下、私はニューヨーク市立大学の大学生だった。当時、アメリカは移民や留学生の受け入れにまだ寛大だった。
たとえば、留学生が四年制大学を卒業し、就職先が見つかれば、グリーンカード(労働ビザ)を簡単に取得でき、数年後には市民権も取ることができた。
大学の教職も外国人に開かれていて、留学生だった人が博士号を取得し、アメリカやカナダの大学でそのまま教えているケースも多かった。
しかし、クリントン後のブッシュ政権(二期連続)、オバマ政権、そして現在のトランプ政権となっていくと、かつてのような大らかさはなくなっていった。
ブッシュ政権下に私が博士号を取得したとき、外国人の就職戦線の厳しくなり、むしろ外国人に対する閉鎖性や排他主義さえも感じられた。これは現在のトランプ政権でも継続している。
私は、大学院卒業の半年くらい前から、レズメ、カバーレター、推薦状、博士論文の要旨を総計30校くらいに郵送したように記憶している。
最終的に、カリフォルニアのある私立大学の研究員の職、短期大学の助教授職、香港の教育研究所の研究員の職の内定をとった。
しかし、どこも一年契約で、給料が安い上に生活費が高い。おまけに自分のやりたい研究ができそうにもない。
かりに一年そうした大学や研究所で働いても、一年後の生活が保証されていない。
それ以外の諸々の理由から、私はスカイビジネスに残り、研究員及びコンサルタントとして働こうと思ったのである。
私の大学院時代の同期の連中らの進路は人それぞれだ。
教員になった人もいれば、在学中に知りあった者同士でベンチャー企業を興した人もいる。ジャーナリストもいれば、私のようなコンサルもいる。
私の母校は決して名門ブランド校ではないけど、みんな明るい人が多かったと思う。
たしかに欧米でも、New PhDs(新しく誕生した博士たち)が就活に失敗したり、無職になる人もいる。
そこで思い切って専門分野を捨てて、まったく新しいビジネスの世界に進む人もいれば、絶望して自殺する人もいる。
これからも就職戦線は、日本でも欧米でも、世界のどこでも厳しくなることだろう。
どんなときも気持ちを明るくすること。
つらいときこそ、なかなかそのようなことができるものではない。
それでも心のあり方次第で、人生を好転させるアイディアが閃いたり、打開策が見えてきたりするものだ。
オードリー・ヘップバーンが教えてくれるように。
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